吉祥寺

ここには何かの魔法があるのかもしれない。

少なくともエモパンクというか、そこらへんの界隈にとって吉祥寺は大切な場所でその近くにいれることは嬉しい。

 

今日のイベントでメインカルチャーへの対抗としてこのカウンターカルチャーを盛り上げていこうみたいな意図を感じた、というか言っていた。

だけどここには身内性が一番重要なものみたいにして横たわっているんだから一生対抗することはできないんだろう。その身内を大きくしていく活動にも限界があって広がるにつれて内側も変わらざるを得なくなるんだと思う。

だからこそメインカルチャーの面白さがいつまでもカウンターカルチャーの身体的な面白さに勝つことはない。いつだって自分の中ではカウンターカルチャーが勝ちだ。それでいい。

ただ、カウンターカルチャー側が窮屈にならずにすむ世界があってずっと続けられるならそれが一番最高なのかもしれない。

でも、そしたら、わたしは何に勝とうとしていたんだ。何もできることなんてないんだろうというのがずっと揺るぎない答えとして横たわっているのは死んだも同然。

生きているから叫ぶ

"生きているから叫ぶんだ"と言った。

叫んでいたから、生きていた。音楽以外なにも無いみたいにして、明日もう死ぬみたいにして歌っていた。けど、それには限界がある。不安定なものはそのうち消えてしまう。

私は消えて欲しくなかった。だけど不安定なままでいて欲しかった。もちろんそれは勝手な話だ。音楽はいつでも奇跡みたいなものですね。

ピックを投げてくれた。取る資格がないと思ったし、まず運動神経わるすぎて取れなかった。